「赤毛のアン」の名言について [スケッチ]
小生は、いつも何かに期待し,その通りに事が運べば嬉しいし、外れればがっかりする。そんな毎日を送っている。先週の天気予報によれば、「今週は熱帯夜から開放されるでしょう」と言っていたはず。ところが、昨日の週間予報では「熱帯夜が続くでしょう」、案の定、寝苦しい夜。
こんな時、赤毛のアンが言った言葉を思い出す。何というこの前向きさ。
キリスト教聖書の中に「何も期待しない人は幸いなり」という言葉があるそうです。(下線部分は、記事作成者の誤りにより削除します。)
アンが、教会が主催するピクニックに行くことになり、期待と興奮の余りのぼせている。それをマリラが心配して注意します。対して、アンは言います。
「リンドのおばさんは、「何も期待しない人々は幸いなり、その人たちは失望しない」って言うけど、何も期待しないなんて、期待して失望するよりも、ひどいわ。」
(この下線部分、何も期待しない人々は幸いなり、は18世紀英国に活躍して、後世に残る格言や警句を残した詩人・批評家のアレキサンダー・ポープが、聖書をもじって作った言葉です。)・・・詳細は後記
この下線部分を、赤毛のアンの作者、ルーシー・モード・モンゴメリーが、人生経験豊かで、処世術に長けたリンド婦人の言葉として引用したのです。しかし、アンはこの言葉に同意しません。そして、アンは言います。
「まあ、マリラ、何かを期待して待ち焦がれることも、愉しみのうちの半分よ。期待しても思い通りにならないかもしれない。でも、待ち焦がれる楽しさは、何ものも止めることはできないわ」 (マリラはアンの養母の名)
人生をより楽しく生きようと心がけるアンらしい、ステキな考え方ですね。
この絵は、京都の喫茶店で、たまたま見かけた外国人の女性をスケッチしたもの。肖像権を侵害したらごめんなさい。これを見ていると、なんとなく、大人になったアンを連想する。笑顔を見せると強そうな顔が一変し、優しくかわいい顔になる・・・
小生は、サラリーマン生活を終えるとき、絵を描きたい、英語の基礎を勉強したいと心に決めた。絵は生まれつき好きだったから。英語は、街で外国人に話しかけられチンプンカンプンで恥ずかしかったから。義務教育以上の勉強をしたはずなのに情けない。
以後、もっぱらNHKのラジオ講座をフルに活用し続け、もう5年になる。「赤毛のアン」に出会ったのは、今年の1月から始まった「ものしり英語塾」、きっと読者の中にも受講された方があるのでは・・・3月まで13回にわたって放送された。
最初のうちは、「何、赤毛のアン]? 子供じゃないよ、と思っていたら中味の濃いこと。随分、英語にも役立ち、何より、アンの明るく前向きで、周りの大人まで前向きな人間へと変えて行く姿に感動してしまった。小生自体が、どちらかといえば直ぐに立ち止まって考え込んでしまう方だから、座右の銘? にして時々読み返している。
知らなかったのは自分だけだったかもしれないが、「赤毛のアン」に触れることが出来たことに感謝したい。NHKよ、講師の松本侑子先生よ、ありがとう。受信料キチンと払っているからね。
これからも、ブログの記事に困った時は、アンの名言をお伝えしたい。余計なお世話かな?
「追記」
”Blessed are they who expect nothing ,for they shall not be disappointed."
「何も期待しない人々は幸いなり」、前記したアレキサンダー・ポープが聖書をもじって作った言葉です。新約聖書「マタイによる福音書」第5章、イエスが山の上で、8つの幸福 the Beatitudes を語る有名な「山上の説教」 Sermon on the Mount にちなんでいます。8つの幸福とは、
Blessed are they that mourn:for they shall be comforted.(悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる)
Blessed are the merciful:for they shall obtain mercy.(憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける)
Blessed are the pure in heart:for they shall see God.(心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る) などです。
Blessed are...,for they shall...という表現が、アレキサンダー・ポープがもじったものと同じですね。
これが、小生が誤って「聖書の言葉のなかにあるそうです。」といったところを削除する所以です。
松本侑子 先生のご指摘によって気付きました次第。恥ずかしい限りです。
今後、十分注意いたします。
京都五山「禅」の文化展・3 [スケッチ]
ご承知の通り京都五山とは上位別格の南禅寺より順に天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺を指す。この展覧会は、足利義満六百年御忌を記念して京都五山を始めとして全国主要寺院から寄せられた仏像、禅僧肖像画、肖像彫刻、墨蹟等々、230点が展示されている。
絶海中津坐像(ぜっかいちゅうしんざぞう)スケッチ 室町時代 京都・慈済院蔵
小生がこの像に惹かれたのは、お顔が郷里の菩提寺の住職に似た風貌で親しみがもてたこと。温和な表情で何人の心も和ませてくれるような感じが像全体からあふれ出ているようで、室町時代に入っても写実を重視する作風が鎌倉時代から引き継がれていることが見てとれた。
絶海中津(1336-1405)は、南北朝、室町初期の五山の詩僧、土佐の人。蕉堅(しょうけん)とも号した。夢窓疎石の弟子。明に留学し帰国後、恵林寺、相国寺、南禅寺等に住し、僧録として五山禅林を統括した。詩文集に「蕉堅稿」があり、義堂周信とともに五山文学の代表者。 (マイペディアより抜粋)
「僧録」:禅宗の僧職。五山十刹およびその諸流の禅寺を統括、人事をつかさどった。
俳 「新涼の禅展に多し異邦人」 よしあき
京都五山「禅」の文化展・2 [スケッチ]
同展の2躯の高僧像が並ぶポスターのもう一方が「無関普門坐像」、一見して特徴あるその眼に関心が奪われる。最も人気のある(?)2躯は、並んで展示されており常に多くの拝観者がいた。「無関普門坐像」も真横からの写生となり眼の特徴を表すことは叶わなかった。
「無関普門坐像」スケッチ 重要文化財 鎌倉時代 京都・龍吟庵 所蔵
横顔は、頭の形がよく、優しげな表情。正面から拝見すると、眼はやや垂れ気味、眼光は鋭く、口元は引き締まり、「安心立命」(あんじんりつめい)の境地にたたれたであろう無関普門の姿が、彫像作者の手によって見事に表現されていると感じ入った。
東福寺開山の円爾弁円の弟子で東福寺第三世、南禅寺の開山となった無関普門(1212-1291)の肖像彫刻です。眼に疾患があったらしく、疣(いぼ)を含め個性的な表情が写実的に表されています。肖像画は今回出品される南禅寺のもののほか、数点が知られています。画像では三角形の眼がやや誇張して描かれ、この彫像の方が真実味があります。この像を安置した檀の内部には石塔が置かれ、塔の下に銅製の骨蔵器が埋められていました。今回は、この骨蔵器も出品されます。(東京国立博物館HPより抜粋)
国立博物館ポスターより
俳 「新涼や禅高僧の像浄し」 よしあき
京都五山「禅」の文化展・1 [スケッチ]
東京国立博物館で「京都五山 禅 の文化展」が開催されることを新聞広告で知った。ポスター写真に惹かれた。異様ともとれる形相の僧二人の彫像。名のある僧に違いない。是非見てみたいと思った。
開催期間中、炎暑の日の多い中、処暑の日が比較的暑さも緩んだので、いそいそと出掛けた。しかし、誰の思いも同じ、かなりの混雑。正面から描きたかったが、監視員の目もあり斜め横の柱の陰から写生した。とにかく鑑賞する人が多かったため、写生対象を三点に絞り、一ヶ所に余り時間を要しないように気をつけながら、三体を行きつ戻りつした。いずれも鎌倉、室町時代の彫像で、写実的で、目には水晶を使い、ほぼ実物大に造られており、高僧ご本人と対峙しているような迫力を感じた。人柄が彫像のなかからあふれ出るようで、彫像作者の力量のすごさも併せ感じた。
癡兀大慧坐像(ちこつだいえざぞう)スケッチ 重要文化財 鎌倉時代 愛媛・保国寺 所蔵
東福寺開山円爾(えんに)弁円の弟子で東福寺第九世癡兀大慧(1228-1312)の肖像彫刻。肥満した身体、にらむような表情は本展に出品される願成寺所蔵の肖像画と共通していますが、風貌はやや異なります。同じく出品される願成寺所蔵の遺偈の、のたうつような筆致と併せて、気骨ある人柄が偲ばれます。 (国立博物館HPより)
博物館前のポスター写真
俳 「今日の秋禅の文化の展示見る」 よしあき
仏像スケッチ [スケッチ]
京都、奈良をはじめ数多くの寺院を訪れて仏像を拝見する機会が多い。しかし、残念ながら堂内、内陣が暗いため、間近に拝見、鑑賞できることは意外と少ない。このストレスを解消するため、国立博物館に足を運ぶことが多い。「○○寺特別展」という案内があると多少の混雑は覚悟のうえ上野の森へ行く。
東京国立博物館「表慶館」
奈良・斑鳩「中宮寺」 国宝・弥勒菩薩半跏像 東京国立博物館の特別展時にスケッチ
奈良、西ノ京 「薬師寺」 聖観世音菩薩立像 東京国立博物館にて
奈良市、「興福寺」 国宝・仏頭 東京国立博物館にて
京都、「泉涌寺」 阿難立像 東京国立博物館にて
仏像名、所蔵寺 不明 京都国立博物館
京都国立博物館は、スケッチに際して申込用紙の提出が必要、かつ監視が厳しい。
所蔵寺 不明 大日如来坐像 東京国立博物館にて
岡寺・菩薩半跏像 京都国立博物館にて
正法寺・阿弥陀如来坐像 京都国立博物館にて
能面スケッチ [スケッチ]
2年ほど前であるが、目白にある「永青文庫」で細川氏に伝わる能面、能衣裳等を特別展示するという新聞記事に接し、「特別」に弱い小生は一度見てみようと足を運んだ。
「目白」駅から15分位、椿山荘の手前を入ったところに鬱蒼とした木々の中に目指す永青文庫があった。3階建て洋館で、展示品はこじんまりとした2室に分かれていた。
恥ずかしながら能、狂言にはさほどの知識がなかったが、最初の能面を観てから、惹きつけられてしまった。常時持参しているスケッチブックで描き始めた。すっかり病み付きになり、数回足を運んだ。
以後、国立博物館、三井記念美術館を訪れ、鑑賞した。
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このブログの開設動機について [スケッチ]
5分間スケッチ(御茶ノ水・「聖橋」より「万世橋」方面を遠望)
小生は最初にHPを作りました。趣味の水彩画を一人でも多くの方に見ていただきたくて、市販のHP作成ソフトを使い、2007年2月に立ち上げました。1回の掲載で16作品程度、現在に至るまで3回の更新を行い、作品を入れ替えました。
ところが小生のHPをご覧頂いている方から更新済みのHPから削除された作品を見る方法はないのかと問われ、ブログを使えばかなりの期間ブログ上で掲載することが可能との助言まで頂きました。
そこで、このブログ上で、まず、HPで紹介した作品を復活し、つぎは、過去の拙い作品も含めマイペースで記事を作成して行こうと考えた次第です。
よろしくお願い申し上げます。