金沢湯涌温泉にて [淡彩スケッチ]
聖橋と神田川 [淡彩スケッチ]
これらのスケッチが、私の絵の原点です
聖橋と神田川 B5・透明水彩・普通紙
聖橋から昌平橋方面 B5用紙に鉛筆・普通紙
と、言ってはみたものの
上の絵は
白地が多く、明る過ぎる感じです
先日のニコライ堂を描いた日のものです
メモ帳代わりのスケッチブックに
下書きなし
所要時間30分くらい
今日は、水彩用紙について一講釈
最近の私の絵は、ぼかしを用いることが多いので
アルシュというフランス高級ブランドものを使っています
高価な代り、水浸しにしても
引っ掻いても、へこたりません
発色も良く
頼りになる紙といえます
今日の淡彩スケッチは
1枚5~6円の安価なもの
先日のニコライ堂を描いた紙は
国産中級品で1枚80円位
高級用紙は1枚300円位
同じように描いても
紙によって
発色具合、水の吸い込み容量、絵の具の伸び具合
明らかな違いがあります
高級紙は100パーセントCOTTONです
あらゆる意味でキャパが広いといえます
初めて高級紙を使った時のことを思い出します
同じ絵具できれいな発色
どうして、こんなに違うのとの驚き
ひとたび着色すると脱色が困難
紙によって、描き方も変えなくてはと
戸惑いもありました
安価な紙ほど
着色した絵具を
水で洗い落とすことが簡単です
その代り表面がデコボコになります
場合によっては、破れてしまいます
私は、描く対象によって用紙を使い分けています
いつもアルシュを使いたいところですが
それではお酒が飲めなくなります
先日のニコライ堂の絵は
アルシュを使うべきだったかなと後悔しています
にじみ、ぼかしが思ったように行かなかったのです
趣味であっても、目的に応じて
用紙を使い分けることが大切かなと思います
そうすることによって
楽しみ方の幅が広がります
絵の鑑賞もどのような紙を使っているかを
知ることによって
味わい方も変わってくると思われます
そのような訳で
今後は使用した紙の種類も
表示したいと思います
下手の長談義となりました <(_ _)>
私の憧れ [淡彩スケッチ]
元・金沢美術工芸大学 スケッチブック両開きの変形
昨日は、絵を描けませんでした
少し疲れがたまったようで
半日、爆睡していました
そのようなわけで
古ネタで、ご勘弁を
この赤煉瓦の建物は
私が中学生だった頃
金沢美術工芸大学でした
学校からも近く
いつも、前を通るたびに
いずれ、ここで絵の勉強をしたい
そんな夢を抱いていました
残念ながら
いろんな事情が重なり
その夢はかないませんでしたが
会社生活を終えて
再び、夢に向かって
日々、過ごせる幸せを味わっています
先は、決して大きくは開けてはいませんが
今日、また、絵筆がとれる
夢があって、追い続けることができる
こんなに、ありがたいことはありません
松本市・あがたの森公園にて [淡彩スケッチ]
あがたの森公園からの東方の山並み 4号・水彩色鉛筆
JR「松本駅」から東へ真っ直ぐの通りを突き当たると
あがたの森公園がある
この森には旧松本高等学校の木造校舎が残る
北 杜夫や熊井 啓らが青春を謳歌した学校としても知られる
ヒマラヤスギに囲まれた校舎は
改めて紹介する
この絵は、公園内の芝生の広場に陣取り
東方の山(地図で調べたが不明)を描いたもの
若干の残雪が見えていた
山笑う頃、ちょっと早いかな
私の場合、通常このようなスケッチを元に
あらためてイメージをふくらませ
新たな絵を描くが
この絵は、現地で描き
その後の手は入れていない
というか、時間がなかったということ
迎賓館前の公園 [淡彩スケッチ]
再び、都心へ戻る。 JR中央線「四ッ谷駅」で降りて、北側のユリノキ並木の先に、バッキンガム宮殿風の迎賓館がある。ゲートの前には、公園があって、ちょっとした都心のオアシスとなっている。
公園よりホテルニューオータニ方向を望む 4号
ギリシャ風、エンタシス柱のオブジェが面白かった。皇居外濠の散策の休憩には、もってこいの場所。昼休みには、弁当を広げている人たちもいる。自分もそのうちの一人。
迎賓館・ゲートのスケッチ 3号
ゲートを透かして、広大な芝生の奥に「迎賓館」が、大きく翼を広げた鳥のように見える。立派な贅を尽くした建物ではあるが、単調で、私には描きたい気持ちは起こらなかった。
秋の名残 4号
落ち葉、松かさ、等など、近所を散歩して持ち帰った。まだ、名残には早いかな。今しばらく、秋にお付き合いをお願いします。
京都・山科「醍醐寺」 [淡彩スケッチ]
「晩秋の奈良」の余韻が残るまま、翌朝、「醍醐寺」へと向かう。現在は、地下鉄が山科まで延びて便利になったが、当時は、JRで「山科駅」まで行き、バスに乗り換える必要があり、目的地を定め、一日を過ごすのが私流になっていた。
醍醐寺は、真言宗・醍醐派の総本山で、874年に聖宝(しょうぼう)が上醍醐に創設した。
「三宝院」の庭園より仁王門を望む 3号
醍醐寺の顔、「三宝院」。秀吉の設計とも言われる池泉庭園。国の特別名勝・特別史跡に指定され、他、国宝・表書院等、拝観料払う価値は十分ある。バスツアーでの観光客は、「三宝院」から「仁王門」をとおり、国宝の「五重塔」、「金堂」を拝観してお帰りになる。
この絵は、楽譜ペンを使用したが、水溶性のため黒インクの「にじみ」が逆効果になってしまった。手軽で、タッチも滑らかなので重宝するが、このような失敗も覚悟しなければならない。
下醍醐と上醍醐を分けるような位置にある古い土塀越しに紅葉を観る。 はがき大
さらに奥、上醍醐への登り口辺りの紅葉 はがき大
この上醍醐の山上伽藍へと続く道は、山懐を歩く感じで、雑木紅葉が綺麗で、野趣があり、時間があればお勧めしたいコース。山上からの展望も素晴らしい。所要時間は、往復、拝観時間も含めて2~3時間はみておきたい。
晩秋の奈良:19「興福寺」Ⅱ [淡彩スケッチ]
11月10日から始めた、「晩秋の奈良シリーズ」も、ようやく今回が最終回。
国宝・五重塔 はがき大
興福寺は、五重塔を中心に一回りした。猿沢の池からの眺めも良かったが、やはりこの位置に落ち着く。ほぼ輪郭を描き終えたところで、時間がなくなって来て中断、帰宅し年が明けてから気づき、仕上げたのが2月だった。広々とした境内から聳え立つ五重塔は、堂々としていて見飽きない。これが、七重の塔だったら? と想像してみるのも楽しい。
国宝・仏頭 3号
2005年に東京国立博物館で開催された「興福寺寺宝展」? で拝観した際の鉛筆スケッチ。数ある展示品の中でこの仏頭に惹かれた。旧「山田寺」の本尊との由。ちなみに、興福寺には、17体の彫刻、1点の書、3点の工芸品、3棟の建造物が、国宝に指定されている。
このシリーズでは、歴史手帳、山渓出版「歩く地図・奈良・大和路」、マイペディア、および和辻哲郎著「古寺巡礼」のお世話になった。さらに、Hide さんのご協力もいただいた。ありがとうございました。
晩秋の奈良:18「興福寺」Ⅰ [淡彩スケッチ]
東大寺と並ぶ、奈良の顔のひとつ。平城遷都とともに建立された。平 重衡の南都焼討によって焼失したが、鎌倉、室町の時代を経て、現在の伽藍がある。
若草山を遠望した国宝・五重塔と伽藍の一部 3号
巨刹には、松が良く似合います。
国宝・五重塔 3号
よほど、この五重塔が気に入ったと見え、残っている絵は、五重塔ばかりだった。京都・東寺の五重塔に次いで高く、50.1mあるそうです。
(追記) 昨日に記事に「開山堂」?と記載しましたが、Hideさんにお調べいただいた結果、「開山堂」ではないとのこと。同日の記事にも追記しておきました。Hideさん、ありがとうございました。
晩秋の奈良:17「春日大社」 [淡彩スケッチ]
二月堂を後に、春日大社へと向かう。参道に並ぶおびただしい数の石灯籠、回廊の軒に下がる釣灯篭と、春日山の原生林を背にした桧皮葺の社殿、厳かな雰囲気に気持ちが引き締まる。
春日大社・本殿、参拝後、中門?を出て はがき大
イチョウが見事に色づいていた。門、回廊の朱、緑、紅葉した樹木と鮮やかな彩の中に佇み、見とれていた。現在の本殿は、1863年建築の国宝。
東大寺・「開山堂」? はがき大
この絵は、二月堂舞台の北側から見えた建物。紅葉した木々の中にある建物が美しく見え、描いた。そのときは、二月堂の一部かと思ったが、観光ガイドブックを見ると、或いは、「開山堂」かもしれない。Hideさん、ご存知だったら教えてください。
延々と続く、奈良シリーズ、いい加減飽き飽きしてきましたか? すみません、次の「興福寺」で終了させていただきます。よろしければ、お付き合い願います。
(追記) Hide さんから早速、返信をいただきました。「開山堂」は、方向違いの別の場所とのこと。この建物は、二月堂の北側の回廊を先に行った「休憩室」ではないだろうかとのこと。Hideさん、お手数をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。
晩秋の奈良:16「東大寺」Ⅴ [淡彩スケッチ]
「二月堂」からの眺望 はがき大
舞台の上から、「大仏殿」、諸堂、そして遠くに生駒方面の山並みを望む。
ここまで来た甲斐があった。