清里シリーズ:最終回 [油絵]
清里駅から車で10分くらいのところのペンションで2泊3日お世話になった。オーナーの車で見所スポットまで送っていただき、あとは最低限の荷物を担いで歩いた。20年前は元気だったんだな。あの頃は、体力の衰えなど気にかけたこともなかった。
たそがれ時 6号
西に八ヶ岳が位置する高原の秋は、にわかに薄暗くなってゆく。ペンション近くを歩いていてこのような光景に出会った。急がねば、スケッチブックを取り出し輪郭を描き、イメージした色をメモ書きする。帰宅してから油絵にしてみた。今見ると、自分の年齢と重ね合わさってくる。まだまだ遠くの峰を目指して頑張らなくてはと思う。足元をしっかりと見つめながら。
「此の道や行く人なしに秋の暮」 芭蕉
清里・清泉寮より [油絵]
再び、20年前の清里。
昨年の秋、再度、訪れたが、相変わらずソフトクリームは、美味しかった。20年前と違ったのは、時期的には同じなのだが、牧草地に牛の姿を見かけなかったこと。そして、草地がやや荒れ気味であったこと。観光客で踏み荒らされたせいなのか?
絵の方は、20年前。
八ヶ岳を背にし東方を望む 6号
清泉寮を赤岳をバックにして描くのは、絵葉書っぽく、余り好きではなく、軽くスケッチし、振り返って、牧草地から東方の山地の方を絵にした。正面の山は、多分、飯盛山か。この道はほぼ真っ直ぐ清里駅まで続く。ブラブラ歩いても小一時間。高原の風に吹かれ心地よかった。
俳 「爽やかや一筋の道野を分かつ」 よしあき
朝霧の清里 [油絵]
先日、10月19日、「秋色の八ヶ岳」の記事を掲載した。今回は、その続編。
朝霧・清里にて 8号
小生は、朝型人間で、当然ながら夜更かしには弱い。就寝中の夜型人間の家内を残し、宿泊先のペンションを出て、近所の散策に出掛けた。朝霧を通して日が射してきた。別荘か、ペンションか定かではないが、洋風の建物が散在する。確か道の先には「赤岳」が姿を見せるはずなのだが・・・
俳 「赤岳の峯おおふほど朝の霧」 よしあき
モネの「印象・日の出」:模写 [油絵]
「クロード・オスカール・モネ」 1840-1926 は、言わずと知れた印象派の巨匠。初めて本物を見たのは、金沢から最初の転勤で東京へ出て来て、国立西洋美術館を訪れたとき。「印象・日の出」ではなかったが、睡蓮シリーズ、他10点余りの絵に接し、気分は高揚した。外は花見客でごったがえす頃だった。
印象・日の出(模写) ↑ 6号
印象・日の出(新潮美術文庫・モネより転写) ↑50×65cm
パリ・マルモタン美術館蔵
油絵教室に通い始め、先生から好きな画家の模写が勉強になると聞いて、迷わずモネのこの絵を選んだ。暇を見ては、自室にこもり、一応こんなものか、と納得するまでに2ヶ月くらいは要した。今こうして比較すると、赤みが不足いているなと思う。小さな手本を見比べながら、最初は白かったキャンバスが少しずつ手本に近い絵に彩られてゆく。当然ながら、似て非なるものではあるが、この模写という作業は、対象を丹念に観ることを教わった。そして、病み付きになった。
俳 「モネの絵のこれにおはすぞ外は春」 よしあき
薔薇の花 [油絵]
1982年、東京から京都に転勤したことに伴い、住いが東京都下から京都市に隣接する向日市に変わった。家族ぐるみで引っ越したが、職場、学校、近所づきあい等々、それぞれの立場で環境の変化になかなかついてゆけず、しばらくの間、家族皆が苦労した。そんな折、家内が「市民油絵教室というのをやっているよ」と声をかけてくれた。最初は、余り気乗りしなかったのだが、子供が以前、油絵教室に通っていたことがあり、道具は揃っている。まあ、行ってみようか、というのが油絵との付き合いの始まりとなった。
薔薇の花 8号
スケッチ、水彩とのつながりは学生時代から細々と続いていた。まず、困ったのは油の扱いだった。手や衣服につけばなかなかとれない、独特の匂い、なかなか乾かない、乾かないと次に進めない苛立ち。さらにストレスが増幅された気がした。家族も匂いの強さには閉口していたようだ。日曜日の午後3時間、仲間が数人、先生は画材屋を併せ営む洋画家A氏。2、3回、通ううちに麻痺してきたのか、慣れてきたのか分からないが、描く楽しさの比重の方が大きくなってきた。家でも一室にこもり窓を開け放った。油との付き合いにも慣れてきた。この絵は、そんな頃の習作。家で半分、教室で半分の作業だった。
俳 「バラの花美しけれど棘のあり」 よしあき
秋色の八ヶ岳 [油絵]
もう、20年近く前になる。「京都」勤務時代に油絵の手ほどきを受けたのだが、1年余りで東京に戻って来た。間もない秋に清里を訪れた。南八ヶ岳の山並み、裾に広がる高原、清泉寮は、色鮮やかな紅葉に彩られ、「京都・奈良」とは違ったスケールの大きい自然の美しさを感じた。
「赤岳」 8号
俳 「赤とんぼ行き交ふ先に八ヶ岳」 よしあき
油絵は、塗り重ねが効き、多彩な表現が出来ることに魅力を感じていた。東京へ戻っても時々は描いていたが、仕事がより多忙となり、重装備への体の負担、油を扱うための後始末の煩雑さ等で、自然と遠のいて行き、手軽なスケッチ、水彩へと軸足が移って行った。私の水彩画がかなり濃いのは、塗り重ねる油絵の名残とも言えそうである。ただこの傾向は、水彩画の絵の出来、不出来に大きく影響する。
上高地・焼岳 [油絵]
暑中お見舞い申し上げます。関東地方も梅雨明け。夏の甲子園の出場高校も出揃ったようです。いよいよ夏本番。「雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち・・・」。NHKの朝ドラ 「どんと晴れ」で宮沢賢治の詩の朗読シーンがあり懐かしくなりました。
お互い暑さに負けず、悔いのない夏を過ごしましょう。
何度でも行ってみたい上高地。大正池周辺を巡る遊歩道からの焼岳の眺望。画面の茂みと焼岳の間に大正池がある。次に行く機会があれば帝国ホテルで贅沢な時間を過ごしたいなと思うが、夢のまた夢かな・・・・。
20年前の、懐かしの油絵 [油絵]
もう既に20年前になりますが、京都市の近郊の向日市が開催していた「市民油絵教室」に興味を持ち参加し、週1回のペースで皆勤賞とまではいかないまでも、ほぼ1年間油絵を教わりました。それまでは、義務教育期間でで教わった水彩画しか知らなかったので、その多彩な表現方法に惹きこまれました。特有の油臭と後始末の大変さに家族のヒンシュクをかったことも懐かしく思い出されます。
転勤を機にいろんな事情で油絵とは疎遠となり、元来絵が好きなこともあって手軽な水彩画に軸足を移すようになりました。ただ、水彩画は修正が難しく、枚数を重ねるごとにその奥の深さを痛感しています。
倉敷の大原美術館近くの「倉敷美観地区」
皇居・和田倉橋と改修前の銀行倶楽部。五月のゴールデンウィークは都心部に人が少なく、皇居周辺を描きたい人たちには絶好の時期だった。
ご存知「上高地」河童橋付近からの穂高連峰遠望。当地を初めて訪れた時の感動は今も忘れない。水彩画も含め、また別の記事でも触れたい。
自宅から奥多摩山地を遠望する雪景色。20センチ余りの積雪に、消えてしまわぬうちにと急いで描いた記憶がよみがえる。
八ヶ岳(赤岳)の秋景色。この道を奥に進むと「清泉寮」がある。